富野節炸裂


アニメ業界のトークショーで、キミたちにガンダムを越える作品を創ることは出来ない! と断言してみせるなど、老いて益々盛んな御大だが、また一説ぶったようだ。

以下抜粋。

●信じるな、考えろ
僕は去年の暮れ押し詰まって、ハンナ・アーレントという政治哲学者を紹介した本を読みました。読んで驚きました。17世紀、ルネサンスまでの人類のほとんどが、ものを判断し、決定することができない人の集まりだったとあったたためです。この話が信じられますか?

だってもし人類がバカなら、ルネサンスが起こるまでの人類史は構築できなかっのではないか。人類史を構築する知恵があったなら、独自に物事を判断することもできたはずです。それぞれの文化を構築するための知恵があって、いろんな判断力があったっていいと思うじゃないですか。だけど、ハンナ・アーレントに言わせりゃ、大勢がよってたかって作れば、これくらいのものは作れるよと。

17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてください。だから、人類には宗教が必要だった。教義を信じるということは、ものを考えなくて済む、信じれば済むということ。

ここで、原理原則に帰ってものを考えるというさっき言ったぼくの一番基本に立ち戻ります。ですが、少なくとも宗教にあって、原理主義者と言われている人たちが今起こしている事件が、新しい時代を構築しているわけではありません。

単純に、原理原則を信じてはいけない。原理原則に戻って独自に考えなければならない。ハンナ・アーレントは17世紀以降、ようやくものを考える人、賢い人が出てきたといっている。

ガリレオが地動説を唱えたことなどで、物事を観測して判断すること覚えた。科学的にものを考える価値が17世紀以降はっきりと出てきた。それで、我々は少しものを考えられるようになってきた。


信じたらイカン。自分で考えろと言っている。
信じる者は救われるという言葉とは対極を行ってますなぁ。


ハンナ・アーレントって学者は知らなかったのでWikiってみたら、哲学や政治学に興味をなくさせる悪文の典型的な例みたいな内容だった。

哲学っては、混沌を秩序づける技術であり、それまで存在しなかった概念を定義しますという学問だから、解り難くて当たり前ではあるが、本当に解っている人が順を追って説明してくれれば、まったく理解不能なわけでもない。

近代史や哲学史のテキストは、前提条件としてある、その時代の背景や文明の進み具合ってのを省略して書いてあるものがほとんどなので、解り難いことこの上ない。

地球が温暖化しているという環境要因の説明を抜きに、いきなりCO2排出制限に血道を上げていましたというチャプターが歴史の教科書に入っていたらどうなるだろう?

1000年後の人々が、21世紀の地球の気候がどうだったか全然知らないままに、21世紀の人類が、CO2をたくさん出した国に経済制裁したり空爆したりしてましたと教科書に書いてあったら、21世紀人ってのは、なんて野蛮で理不尽なんだろ〜 信じらんな〜い ┐(´〜`)┌ となるだろう。

話がそれた。


信じることは、常識に反して、実は意外と簡単だ。
反面、考えることはとても重労働で難しい。

教科書や参考書の模範解答を丸暗記することは、聖典を暗記する作業とほぼ同じだと思える。
だから、学校の勉強をするというのは、宗教を信じるのと、行動としてはほぼ同じだと思える。

なんの手本もないところから考えるのは、恐ろしく難しい。
だから、大学の授業は全優でも、卒論はまったく書けないという人もたまに居る。


信仰は共有できるが、自分が独自に考えたものは、自分だけの考えだから、なかなか他者と共有はできない。

友達が欲しかったら、同じものを信じるのが手っ取り早い。自己主張なんてしたらKYになってしまう。

ということで、基本的に信じることは簡単で、甘い果実が簡単に手に入る。

対して考えることは、やたら手間がかかる上に、孤立しやすく、リターンを得るまで時間がかかる。

なので、放っておくとどんどん人間は信仰に走ってしまう。
ルネッサンスで宗教呪縛から解放されて革命したのに、逆戻りしているということだ。


ルネッサンスで知識が爆発して、宗教的権威や王族貴族が知識を独占していられなくなってしまったのは、活版印刷技術の発達がひとつの原因であるが、テレビやネットが発達した現在、むしろ知識は寡占化する方向にある。

活字媒体で読み書きしてやりとりする行為は、言語中枢に酷く負荷がかかる行為。

情報量が少ない活字のみのメディアで意図を伝えるには、表情や声色の使い分けが前提となる話し言葉ではなく、文法構造がより厳密な書き言葉を使わないといけない。

書き言葉を使いこなすスキルは、ある意味外国語の習得よりも難しいので、紙媒体に文字情報のみでやりとりしていた時代というのは、かなり頭を使わないといけない時代でもあったと言える。

現代は、メディアの発達によって、逆に書き言葉は使わなくて済む時代になった。

ある意味、逆ルネッサンスかも知れない。